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東京地方裁判所 昭和59年(行ウ)59号 判決

原告 青木茂

被告 北沢税務署長

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五八年七月八日付けでした原告の昭和五六年分所得税の更正(ただし、総所得金額から控除する金額(所得控除額)七八万二〇九四円、還付金の額に相当する税額四四万四〇九七円をそれぞれ下回る部分)を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  課税経緯

原告がした昭和五六年分所得税の確定申告及び修正申告、これに対して被告がした更正(以下「本件更正」という。)、これに対する不服申立ての経緯は、別紙記載のとおりであり、原告は、適法に不服申立てを経由している。

2  不服の範囲

本件更正において、所得控除額のうち、原告の基礎控除額が二九万円とされている点に不服がある。

二  請求原因に対する認否

請求原因1の事実は認める。

三  被告の主張

所得税の所得控除のうち、基礎控除については、昭和五九年法律第五号による改正前の所得税法(以下「旧法」という。)八六条によれば、その額が二九万円と規定されているので、この適用により原告の所得税の基礎控除額が二九万円であるとしてされた本件更正は適法である。

四  被告の主張に対する認否及び原告の主張

1  (認否)

旧法八六条の規定が被告主張のとおりであることは認める。

2  (原告の主張)

同条の規定は、次に述べるとおり、憲法二五条一項、一四条一項に違反するものであつて、その効力を有しないものである。したがつて、旧法八六条を適用してされた本件更正は、違法たるを免れない。

(一)  憲法二五条一項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定しているところ、これは、すべての国民に「人間たるに値する生活」を営むことができるように国政を運営すべきことが国の責務であることを宣言したものであり、また、国は、国民が自ら健康で文化的な最低限度の生活を維持することを阻害してはならないことを意味している。したがつて、これを課税最低限についていえば、課税最低限は、少なくとも最低生活費を保障するものでなければならず、最低生活費にまで課税するものとすることは、同項に違反するものというべきである。

(二)  ところで、憲法二五条一項の理念に基づき制定された生活保護法による生活扶助基準は、国が決定した最低生活費を示すものであるが、同基準は、昭和五六年度において、原告居住地と同じ一級地の標準四人世帯で約一六二万円である。これに対して、昭和五六年における所得に対する同標準世帯の配偶者、扶養(二名)、基礎のいわゆる人的三控除額は、合計一一六万円(290.000×4)となつていて、右基準の七二パーセント弱に過ぎない。

そうすると、昭和五六年においては、右控除額すなわち課税最低限は、国自らが定めた生活扶助基準すなわち最低生活費を下回るものとなつている。そうすると、基礎控除額の定め(旧法八六条の規定)は、配偶者、扶養の両控除とあいまつて、健康で文化的な最低限度の生活を保障する憲法二五条一項に違反し、ひいては、納税者は、生活扶助基準により生活保護を受ける者との間において、不合理な差別取扱いを受けることになるから、右の定めは、憲法一四条一項にも違反するものであつて、その効力を有しない。ちなみに、昭和五二年度の右同様の生活扶助基準は一一四万円であるのに対し、同年の右同様の人的三控除は昭和五六年と同額の一一六万円であつて、当時においては、最低生活費の侵害はなかつたものである。

(三)  総理府統計局の統計によると、全国総合消費者物価指数は、昭和五二年平均は八六・一、昭和五六年平均は一〇四・九であつて、その間に二一・八四パーセント弱上昇しており、最低生活費は、少なくとも、物価上昇の割合に応じて上昇している。そして、基礎控除の制度は、最低生活費を課税対象から除外しようというものであるから、基礎控除額は、少なくとも、物価上昇の割合に応じて上昇させる必要がある。このことを無視して、昭和五六年の基礎控除額を昭和五二年のそれと同額の二九万円のままとしている旧法八六条の規定は、現実の生活条件を無視することが一見明白であるから、右(二)に述べたとおり、憲法二五条一項に違反し、その効力を有せず、したがつて、昭和五六年の基礎控除額は、昭和五二年のそれに右物価上昇の割合を乗じた三五万三三二一円(290.000×0.049÷86.1))にまでは上昇させるべきである。

五  被告の反論

1  原告主張の所得税の基礎控除額をいくらとすべきかということは、立法の過程において審議決定されるところに一任されている立法政策の問題であるから、昭和五六年において基礎控除額を二九万円と定めていた旧法八六条の規定の当否について裁判所が判断をすることはできず、まして、基礎控除額として相当と思われる額を裁判所が独自に定め、それを基礎として、課税所得金額等の計算をすることは許されない。

2(一)  原告は、旧法八六条の規定は憲法二五条によつて保障された生存権を侵害すると主張するが、原告は、本件係争年当時、収入金額では二〇〇〇万円を超え、総所得金額でも八〇〇万円を超えていたものであるから、基礎控除が二九万円では、憲法二五条の要請する最低限度の生活を営めないということはなく、原告の生存権の侵害という問題は生じる余地がない。

(二)  仮に、原告の主張が、抽象的に原告主張の最低生活費相当額の所得金額を得た者を想定して、基礎控除額が二九万円では、その者の最低生活が維持できず、その生存権が侵害されるという主張であれば、それは、自己の法律上の利益に関係のない違法を理由として本件更正の取消しを求めるものであって、行訴法一〇条一項の規定により許されない。

3(一)  一般論としてみても、生活扶助基準と課税最低限とを比較することは、妥当ではない。

すなわち、生活保護法に基づく生活扶助基準は、国の福祉政策に基づき、生活困窮者に対して必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的として行われるものであり、資産、能力その他のあらゆるものを最低生活の維持のために活用し、更に民法上の扶養義務や他の法律上の扶助を優先的に活用しても、なお最低生活を営めないときの扶助基準である。また、右基準は、世帯員個々の年齢、世帯構成、居住地域の別に、個々的な生活実態に対応して設定されているものである。これに対し、一般の給与所得者の課税最低限とは、所得税課税の限界を画するものとして所得税法の各種控除額の組合せによつて示される給与収入の水準であるところ、各種控除は、国家の維持活動に必要な経費に充てる歳入確保を目的とする財政政策やその他の経済・社会政策等の総合的な政策判断により決定されるものである。そして、課税最低限は、資産の保育状況にかかわりなく、また、年齢、居住地域の別なく全国一律に定型的に示されているのである。

このように、両者は、その主旨、目的、仕組みが全く異なるから、各種控除ないし課税最低限の設定に当たつて、生活扶助基準を当然に考慮しなければならないものではないというべきである。しかも、給与所得者の場合における課税最低限は、いわゆる人的控除のみならず、給与所得控除及び社会保険料控除も含めて示されるものであるから、その一構成要素である基礎控除等の人的控除のみを取り上げて論ずるのは失当である。

また、憲法二五条の趣旨は、一義的にある施策単独で健康で文化的な最低限度の生活を保障するに足りるものでなければならないことを要請しているものではなく、国及び地方公共団体等のすべての施策を通じて、総合的に最低限度の生活が保障されていれば足りると解されるところ、租税体系(しかも、そのうちの所得税のみ)のみを捉えて、それだけで健康で文化的な最低限度の生活という絶対的な水準を確保しなければならないものということはできない。

(二)  原告主張の基礎控除額を三五万円、人的三控除の合計額をその四倍の一四〇万円としたところで、本件係争年当時の右の控除合計額一一六万円との差は、二四万円であり、この二四万円を課税標準として課される所得税額は、二万四〇〇〇円であつて、右三控除を行う前の所得金額が一四〇万円の者が、右税負担によつて直ちに最低生活を営めなくなるとは到底考えられない。

(三)  あえて給与所得者の課税最低限の水準と生活扶助基準とを比較するにしても、昭和五六年において、前者は後者をかなり上回つており、何ら問題が生じる余地はない。

すなわち、標準四人世帯(夫婦と子供二人)の給与所得者について、昭和五六年分の課税されない水準は、旧法別表七の付表によれば、基礎控除、配偶者控除、扶養控除の人的控除と給与所得控除を考えただけで、少なくとも年間給与等の金額が一八七万一九九九円の人は課税されないことが明らかである。他方、同年分の生活扶助基準額は、一級地の標準四人世帯で一五八万円余であるから、課税されない水準が生活扶助基準を相当上回っているといえるのである。

4  原告は、本件係争年における基礎控除の額が昭和五二年以来据え置かれた二九万円であり、同年以来の物価上昇等との関係を考慮していないものであると主張する。しかし、租税は、国家の財政需要を充足するという本来の機能に加え、所得の再分配、資源の適正配分、景気の調整等の諸機能を有しており、国民の租税負担を定めるについて、財政、経済、社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断を必要とし、課税要件を定めるについて、極めて専門的な判断を必要とするものである。したがつて、租税法の定立については、立法府の政策的、技術的な裁量的判断に委ねられるべきものである。そして、原告が本訴で争う所得税における基礎控除額は、正にそのような立法府の裁量的判断の対象となるべき事項であるから、物価上昇との関連で、基礎控除を据え置いたという一事をもつては、当不当の問題となることはあつても、違憲、違法の問題を生ずることはない。

六  原告の再反論

1  被告の反論1について

裁判所は、一切の法律等が憲法に適合するか否かを決定する権限を有するものであり(憲法八一条)、被告の右主張は、これを否定するもので、失当である。

2  同2について

(一)  基礎控除の制度目的からすれば、基礎控除額自体が最低生活費を下回るか否かを一律に問題とすべきものであつて、原告の税引後の可処分所得が大きいからといつて、生存権の侵害にならないということはできない。

(二)  基礎控除額の如何は、それによつて原告の税引後の可処分所得額に影響が及ぶから、当然に原告の利害に関係を有する。

(三)  仮に、低額な所得者のみに訴訟が許されるものとすれば、高額な所得者は、裁判を受ける権利を否定され(憲法三二条違反)、また、右訴訟を許される者と比べていわれのない差別を受けることになる(憲法一四条違反)。

(四)  現行法上、年末調整で課税関係が完結する給与所得者は、基礎控除又はそれと同性格の人的控除の違憲訴訟をする制度が保障されていない。このように給与所得者から提訴権を奪つておきながら、原告のような者からも提訴権を奪うことは論理的にも矛盾があり、一般の国民の裁判を受ける権利を否定することになる。

3  同3について

(一)  被告は、生活扶助基準は、課税最低限とその主旨、目的が全く異なるから両者を対比するのは妥当でないと主張するが、生活扶助基準も最低生活費非課税の原則も憲法二五条に根源しており、また、憲法一四条により国民の平等が保障されているのである。

(二)  被告は、租税面のみ健康で文化的な最低限度の生活を確保しなくても、他の国及び地方公共団体のすべての施策を通じて総合的に右を保障すれば足りると主張するが、それは完全な社会主義国家なら可能かもしれないが、わが国のような資本主義国家のもとにおいては期待することができない。

(三)  被告は、給与所得者の課税最低限の当否を検討するに当たつては、給与所得控除をも加えた額をもつとすべきであると主張するが、給与所得控除は、必要経費の概算額を画一的に法定して控除するものであつて、それは所得をあげるための支出であり、所得の処分としての生活費には算入することができないものである。したがつて、被告の右主張は、給与所得控除の本質からして失当である。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1(課税経緯)の事実は、当事者間に争いがない。

二  原告は、旧法八六条の規定が憲法二五条一項、一四条一項に違反してその効力を有せず、旧法八六条を適用してされた本件更正は違法である旨主張するので、判断する。

(一)  まず、憲法二五条一項違反の主張につき考える。

ところで、右一の当事者間に争いのない事実に弁論の全趣旨を合せ考えると、原告の本件係争年(昭和五六年)の所得税の総所得金額は、原告の申告においても、また本件更正においても、八三九万四三〇〇円であり、原告は、配偶者控除及び扶養控除の対象者を有しないものの、その所得の額においても、またいわゆる可分所得の額においても原告主張の最低生活費である生活扶助基準額(標準四人世帯で約一六二万円)を大幅に上回つていることが認められ、この事実によれば、原告については、基礎控除額を二九万円とする旧法八六条の規定をそのまま適用したからといつて、原告の健康で文化的な最低限度の生活が侵害されるということのないことは明らかである。また、本件更正は、原告に対するものであるから、それにより、原告以外の第三者の右の如き最低限度の生活が侵害されるということも、特段の主張、立証のない本件においては、あり得ないものということができる。

そうであるとすると、右の憲法二五条一項違反の主張は、原告の健康で文化的な最低限度の生活が侵害されたということをその立論の前提とするものであるにせよ、原告以外の第三者のそれが侵害されたということをその立論の前提とするものであるにせよ(原告以外の第三者の憲法上の権利利益を原告が援用することができるかどうかにかかわらず)、その前提を欠くものであつて、失当というほかはない。

仮に、右主張が、旧法八六条の規定により、抽象的に何人かの健康で文化的な最低限度の生活が侵害される蓋然性があることを根拠とするものであれば、抽象的に法律の違憲判断を求めるのとなんら異なるところはなく、裁判所としてはこれにつき判断を下す権限を有しない。

原告は、右主張に関連して、高額所得者は、裁判を受ける権利を否定され、あるいは、その点で低額所得者に比べ差別を受けている旨主張する(原告の再反論2(三))。しかし、そもそも、原告は、本訴において、裁判を受ける権利が否定されているわけではなく、右主張はその前提を欠くものである。のみならず、高額所得者であつても、自己の法律上の権利利益ないし憲法上の権利利益が侵害された場合には、裁判を受ける権利が認められ、あるいは法律の規定の憲法適合性につき判断を受けることができるのであり、その点で低額所得者と差別があるわけではないから、右主張はいずれにせよ失当である。

また、原告は、年末調整で課税関係が完結する給与所得者は提訴することができないとの立論を前提として、原告から提訴の権利を奪うことは許されないとも主張するが(原告の再反論2(四))、右の給与所得者であつても、本件における原告のように、いわゆる還付申告をすることによつて、提訴することができないわけではないから、右主張はその前提を欠き失当である。

したがつて、右の憲法二五条一項違反の主張は、採用することができない。

(二)  次に、憲法一四条一項違反の主張につき考えるに、右の主張は、生活扶助基準により生活保護を受ける者は健康で文化的な最低限度の生活が保障されるのに対し、所得があり納税をする者は旧法八六条の規定が適用される結果その保障がないから、その間に差別取扱いがあるとするものであり、結局のところ、旧法八六条の規定が憲法二五条一項に違反していることをその立論の前提とするものと解されるところ、その前提が認められないことは、右(一)に述べたとおりである。

したがつて、右主張もまた採用することができない。

三  ところで、原告は、基礎控除の制度は、最低生活費を、課税対象から除外しようとするものであるから、基礎控除額は、少なくとも、物価上昇の割合に応じて上昇させるべきものである旨主張する。

しかし、租税は、国家の財政需要を充足する機能のほか、所得の再分配、資源の適正配分、景気の調整等の機能をもあわせ有しており、国民の間で租税負担をいかにするかについて、財政、経済、社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断を要するとともに、課税要件等を定めるについて、専門技術的な判断を必要とするものであるから、租税法の定立については、立法府の政策的、技術的な判断に委ねるほかはなく、裁判所は、基本的には、立法府の裁量判断を尊重せざるを得ないのである。そして、基礎控除額についても、右に述べたところと異なつた理解をすべき特段の事情があるものとは認め難いから(なお、基礎控除額に関する原告の違憲主張については、既に右二において失当としているところである。)、立法府は、基礎控除額をいかにするかをその裁量判断により定めることができるものというべきであつて、原告が主張するような、基礎控除額を物価上昇の割合に応じて上昇させなければならないといつた義務が立法府にあるとは到底解し難い。

したがつて、右主張は、採用することができない。

四  以上によれば、原告の本訴請求は、理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木康之 太田幸夫 塚本伊平)

別紙〈省略〉

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